日記:「なので」を許してはいない

私が微妙に許していない言葉であり進んで使わない言葉、それは「なので」だ。この「なので」は文の頭につくので、接続詞扱いか、それに近いものだと思う。「そういうことなので」辺りの略語かもしれない。「なので」より前の文章を根拠や理由として、「なので」の後に結論が来る。でもこれは「したがって」や「だから」でいいのでは? 「なので」は話し言葉ならまだしも文章で使うのは格好がつかない、というのが私の感想だ。

私がこう感じるのは、おそらく小学校の国語の時間に「「なので」は接続詞ではない」と先生が言っていたからだと思う。その先生は作文で「なので」を使うと書き直しを命じていた。確かにあの頃の教科書には、接続詞として「なので」は紹介されていなかった。私は授業から10年以上経った今でも「なので」の使用に消極的だから、この授業の効果は絶大といえる。あの時の同級生もこの話を覚えているだろうか。

似たような事例で、「を」の後ろに読点は打たないというのもあった。これも授業で教わった。こちらは教えを守ったり守らなかったりしている。ビジュアル的な観点でどうしても区切りが欲しいときに読点を打つけれど、そのときは何かルール違反でもしているような気分になる。

「なので」も、いつの日かやむにやまれぬ事情のもと、私の言葉として繰り出される日が来るだろうか。もしくは、私の中で許された言葉になるだろうか。