スイカ嫌いの偉大な一歩

実家に帰るとスイカが出てくる。私はスイカが好きではない。嫌いである。好物だという方々には申し訳ないけれど、私としては果物にしては青臭いのが苦手だ。甘いけれど他の果物に比べるとパンチがなく、なんというか私の中ではどうにも野菜に分類されている。食卓に出されてもあまり手が伸びない。だというのに、なぜか実家での夏場のデザートは決まってスイカだ。どうしてだろうとずっと不思議だったが、どうも母は私がスイカを好んでいると思っているらしいことがわかった。「はい、スイカ。子供たち好きでしょう」と言いながら母が冷蔵庫からキレイに切ったスイカを出してきた時の私の心境を答えよ。卒園アルバムのスイカ割りの写真でも、幼い私はけげんな顔をして三角に切られたスイカの先端をちょっとだけかじっているだけだというのに、何がどうしてそうなったのか。理由はわからない。

このゴールデンウィークにもデザートで出てきたのを見て、私は決心した。言おう。スイカは嫌いだと。果物は決して安くない、出始めの頃は尚更。多分、喜んでもらおうと思って重たいスイカを買ってきてくれただろうに、当の私がスイカ嫌いなんて申し訳ないことだ。せめて正直であれ。

しかし他人の善意に勘弁してくれと言うのは少々勇気が必要だった。「ほら、スイカ。高かったけど、みんな好きだと思って」という言葉と共にスイカが登場したときには、これはもう黙って2切くらい食べた方が丸いんじゃなかろうかと思った。思ったけれど、今後もこのシチュエーションでスイカを食べる機会はそこそこあるだろうということと、嫌いを隠して食べるという嘘をついたくせに、まるでこちらが我慢したかのようなストレスを溜めるのはどうかと思ったので、覚悟を決めて言った。ただ、言い方は「好きではない」くらいにマイルドになった。嫌いと言ったらあっちもこっちも傷が深くなりそうな気がして。

十数年スイカ好きとされてきた娘がそんなことを言い出したので、案の定家族は面食らっていた。言われた側の心境を思うと、発言の張本人の私ですら複雑だ。何せ今まで良かれと思って買い与えていたものがそんなに好きではないとわかったら、これまでのあれやこれやは即ちありがた迷惑だったというわけで、やるせない心持にさせてしまったと思う。この手の好き嫌いは早々に言ってしまった方がいいのだ。もっと早く言えばいいものをという話だけれど、結果として言えたことが大事だ。私は偉業を成し遂げた。今までだったら言えずじまいで2,3切食べてお茶を濁していただろう。相手を思いやりつつ、しかし言わなければわからないので言っていきましょう。ハートの強さとその鍛錬を今後の課題としたい。

ところで、私は生野菜も嫌いだ。実家での食事では、毎食生野菜サラダが出てくる。健康と栄養上の理由からつべこべ言わずに食べなさいと一蹴されそうではあるけれど、はてさてこれは一体いつ言ったものか?